両手を広げて

AC回復を目指し、自分らしさを取り戻していく

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暴れん坊の自分

小学校6年生の時、隣の区域の小学校のメグちゃんと友達になり
日曜日や夏休みに、よく泊りがけで遊びました。

その子の姉が、私の兄の彼女という経緯から親しくなりました。

メグちゃんとの遊びはダイナミックで

ローラースケートで長い坂道をしゃがんだままブレーキをかけずに直滑降ですべったり
休みの日の体育館に忍び込んで、倉庫の中に秘密基地のようなものを作ったり、舞台で踊ったり
体育館の屋根を走り、教頭先生に追っかけられて逃げたりと

危険を伴う男の子並みの悪さをしていました。

背格好も同じくらいで、おそろいの服をきたりして
メグちゃんのお母さんに、双子のようだねと言われることが
まんざらでもなく、二人で自由に遊んでいました。

ハデな遊びは、ほぼメグちゃんとしかしなかったのですが
私が通う小学校で待ち合わせて、懸垂用の高い鉄棒から飛び降りたりなどをしていたので
同じ小学校の友達も私の危険な行動は見ていたはずです。

2つ前の記事で
友達の親が私と遊ぶな、と言われたことを書きましたが
その理由は、こういった私の行動からじゃないかと思い直しています^^;


メグちゃんの通う小学校と、私の通う小学校が同じ中学に入学することになっていたので
メグちゃんは私と会えことを楽しみにしていました。

お昼を一緒に食べようねとか、かえりにマクドナルドに行こうねと
声をかけてくれていて

私も楽しみだったのですが、家の状況が言えず
私の兄もそのような状況を彼女であるメグちゃんのお姉さんに話していない様子が感じられ
自分が入学できるかどうか分からないことを言えず
おばの家にいくことが決まった時も言えずにいました。


入学後、探しても私がいないので、私と同じ小学校出身の子に話を聞き住所を教えてもらったと、
おばの家に届いた手紙にかかれてありました。

兄も彼女に伝えていなかったらしく
メグちゃんのうちではどうしたんだろうと話題になったそうです。

その後も、手紙のやり取りは高校生になるまで続きましたが
だんだんと手紙を送る間隔がお互いに長くなり、付き合いがなくなってしまいました。


私は、自分が暴れん坊だったことを忘れ去っていて
小学校の時は教室の隅で1人ぼっちでいたようなつもりになっていましたが事実は違っていました。

時には一人ぼっちの時もあったとは思います。
とはいえ都合よく、記憶を書き換えている自分に恥ずかしさもあります(〃ノωノ)が、楽しい記憶でもあり。
思い出せて良かったです。





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[ 2017/05/12 16:25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

食べ物を拒否すること


子どもの頃に、いつも料理のダメだしをしている時期がありました。

小学校低学年の時、母親の入院中に家事をしに来てくれた、親戚の女性がいました。

母親の継母、私の祖父の再婚相手の人です。

その人と祖父は、私が生まれる前に離婚していたので、私は面識がありませんでしたが

かつての連れ子が病気になり、少しでもお手伝いをしたいということで来てくれたと、大人になってから聞きました。

その人は我が家に泊まり込み、毎日ごはんを作ってくれたのですが

私は、その人が作ってくれた料理に難癖をつけて、記憶にあるかぎり殆ど食べませんでした。

うちはこういう味付けじゃないんだと、荒い口調で言っていました。


その人なりの思いやりを血のつながりのない孫の私たちにかけてくれたことを、私は拒否していました。
かなりひどいことをいったと思います。


どうしてそんなことをしたんだろうかと

あの時の私は、お母さんを守りたかったのか
それとも、私と母親の大切な場所を犯されたことに抵抗したかったのか

いろんな思いが交差しますが、その人の料理がまずかったからではないと、今なら分かります。



今日の夕食の献立が、子どもにとっては納得出来なかったようで、かなりのダメだしが入りました。

以前にも作ったメニューだったので、献立が嫌というより、嫌なことがあってそれを私にぶつけてるかのように見えましたが

何があったのか話す様子もなく、本人の気持ちも分からずにいます。
本当に料理がいやだったのかもしれません。

料理にダメだしをする言葉の裏に、表現出来ない何かがあるのかも知れないと考えながら

子どもの頃に自分のしていたことを思い出しました。







[ 2017/04/23 20:28 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

中学前の食生活

小学校のころに、家から少し離れたところに忠実屋というスーパーがありました。


母親が死んでから出来たスーパーなので、家族とは行った思い出はありませんが

父親のお酒を買った帰りや
友達と遊んだ帰りに、御菓子や惣菜を買いによく利用していました。

ある時から友達のお母さんがこのスーパーで働くようになり、私は行きにくくなってしまいました。

その友達が、自分の親から
私と遊ぶんじゃないと言われたと、
私に報告してきたので、自分を嫌っているおばさんに会いたくなかったんです。

こどもながらに
うちは片親だし、素行も悪くてだらしがない、学校も休みがちで、そのおばさんにしたら
つき合いたく子供なんだろうとなと思っていました。
見下されてる感じです。

そのおばさんは、入り口横のカメラの現像やクリーニング受付のサービスカウンターの仕事をしていました。

そこを通らないと中に入れないので、様子を伺い見つからないように走って入って行くようになりました。

タイミングが悪く入れない時は、おばさんが仕事を終わって帰るのを待っていたり
外に売り場の窓口があるお好み焼きを買い
なんとか会わないようにして食べ物を買ってきていました。

また、忠実屋で友達と別れるときに聞く

お腹が空いたから帰ろう、とか
お母さんに怒られるからもう帰るよ

という言葉に
私は自由で良かった、みんなは時間が決められててかわいそうと、当時は思っていましたが

それでも自転車で去っていく友達の姿を見ていてなんとも言えない、もの悲しい気持ちも同時にありました。

さっきまで楽しかったのに、つまんない、と
ひとり取り残されたようでした。


そのうち、駅の近くにコンビニが出来て、忠実屋で食べ物を買うことは無くなりました。

友達のお母さんに会わずに買い物が出来るようになったのに、コンビニでも人に見つからないように隠れて買い物をしていました。

[ 2017/04/22 02:02 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

まずかった

おばの料理はまずかった。

ほんとにまずかった。
味付けがめちゃくちゃ。
おいしいものを作ろうという気が全くない。

家に天ぷら鍋がない。だから揚げ物をしない。
砂糖も酒もみりんもコンソメも中華だしもラー油も何にもない。

しょうゆとあら塩とコショウと味の素と変な無添加のまずい粉末だしだけ。

だから卵焼きが甘くない、しょっぱい味付けだったんだ。

鍋のなかに、カビが生えた味噌汁やカレーがそのまんま。

台拭きは、学校の雑巾くさいにおいで、しぼったままの形で固まっている。

レンジの中にはいつからおいてあるか分からない物体。

そんな中で食べたらまずいもんが倍増されてまずくなる。


作るのだって限界がある。
私が作ってたのは、料理名がつかないようなものばかり。

菜っぱを炒めただけとか、かまぼこを焼いただけとか。

そんな料理、作っても楽しくない。
誰も感謝がなく、美味しいとも言ってくれず。

残されて捨てられて、やる気をなくす。
でも自分が残したら叩かれる。


私と従姉妹が夕食を作ってたのは、
おばが仕事で忙しいからじゃない。

おばは嫌いな料理を私たちに押し付けていただけ。

なのに私は

おばは忙しいから家にあるもので何でも作って食べないと。
好き嫌いが多い自分はわがまま。
いとこたちのように何でも食べれるようにならないと

と、まずいものを文句なく食べるいとこたちを素晴らしいと崇め

好き嫌いのある自分はダメなんだと卑下していった。
何でも食べれるようになろうと味覚も麻痺させていった。


まずいものをまずいと言えない家。

みんな、まずいと思ってないんだろうね。
でも、おいしいという言葉も聞いたことがない。


なんておかしな家。


[ 2017/04/12 01:25 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

家庭訪問を終えて

去年12月、家庭訪問という形でメンバーさんと会ってきました。
楽しく不快もなく、居心地よく過ごせた数時間でしたが
自分なりに感じたことをセッションやボイスで口にして整理していくうちに
その時には分からなかったことが後からぽつぽつとでてきました。

自分と似た家庭環境のメンバーさんとの親子関係の違い、金銭感覚の違い、
一緒にいったメンバーさんが感じたことと自分の感じたことの違い
ボイスで話していくほどに、自分の中で見ようとしてこなかったことが浮き彫りになってきました。

家庭の中で子どもが自分の意思を出してきた時に
それに私が不快を感じると、こんなこと言われた!ひどい!と被害者になります。
子どもを悪者にしていきます。

こどもの気持ちを受け止めるより、怯えから逃げたくて
その場しのぎのごまかしをしてきました。
欲しいものを買い与え、ご機嫌を取ってきました。

自分が決めてやった行動なのに、お金がかかって大変だと、
またここでも子どもを悪者に仕立て上げてきました。
この繰り返しです。

食事も生活に見合わない贅沢をしてきました。
ごまかすために、ある中でやりくりすることを心掛けませんでした。
若い時から蓄えてきたお金も、がんの保険金も使い果たし

どうにもならなくなったら今度は質素な食生活になり、
でも生活に見合う食生活をしてきていない子供たちにとっては
この変化についていけないのも当然だと思います。

この変化に対しても、上乗せすることなく今の状態を説明をしてきませんでした。
お金がかかって大変なんだ、母親の私がこんなにがまんしているんだ
というのを態度で威圧的にだしていました。

自分がどれだけ子どもをみていないか、受け止めていないか。
お金を使うことで自分を満たし一時の安心を得ることを繰り返してきたこと。
今回の家庭訪問の痛い収穫です。

[ 2017/01/16 12:11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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