両手を広げて

AC回復を目指し、自分らしさを取り戻していく

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

キッチン

お母さんは、いつもエプロンをしていた。
赤とピンクが混ざった色で、スソがまあるくカットしてある。
スソの右端に、トマトのイラストが入っている。
首元のひもの長さを調節する金具がカマボコみたいな形のヤツ。

それしか持ってなかったのか、
私が思い出せるのがそれだけなのか
どっちか、わかんない。

キッチンで料理をしている。
私は、ダイニングチェアに座って、お母さんの後ろ姿を眺めている。
エプロンを結んでいる背中のリボンを見ている。

シンク前の出窓から、西日が差している。
キッチンは、いつも明るい。
ハンバーグを一緒に作った。
ステンレスのボウルに、牛乳に浸った、ちぎった食パンが入ってる。
たまにつまみ食いしてたような気がする。

お料理はいつも、ワンプレートに幾つかのおかずをひとりずつ用意してくれていた。
ウインナーは、お弁当に入れるような小さいサイズのものに、
斜めの切り込みが入っていて、醤油で味付けしてある。

コンロの横にある炊飯器を開けて、その場でのりたま振りかけてオニギリをにぎってる。

お母さんのそばにいたくないと思っていたはずだったんだけど
私、多分キッチンでお母さんのあとをついて歩いてる。
お母さんと会話を楽しんだ事なんてないと思ってたけど、多分会話してる。
お母さんの後ろ姿を見ているし、後ろのリボンを触ってる。

リボン好きは、髪の毛にリボンを付けて貰った事がルーツだと思いこんでたけど、
違うんじゃないかと揺らいできた。

親戚のオバちゃんが作ってくれたウインナーの味付けに、それ違う!と
怒っていた自分を思い出してから、芋づる式に出てきた。

そんなばかな〜、お母さん嫌いだしって
思いたいけど、思い浮かぶその場面で
お母さんの怒鳴り声は聞こえてこない。

自分で声に出して人に聞いてもらうことで、ここまで思い出でが広がった。


スポンサーサイト
[ 2014/01/25 14:30 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

加害者

認めることが中々できない、自分の加害者の部分。

親からされていた事は、被害者。

子どもにしている事は、加害者。


どっちもあるんだよとセッションで聞いたけど
私は被害者の立場でいたくてたまらない。

被害者であれば、自分は悪くなくてすむ。
相手を責めていられる。

これを続けていたら、罪悪感は持てない。
自分がしてきている事をなかったことにし続ければ
私は、いつまでたっても変わらない。

変わるために自分を出すことで
恥をかきたくないと、変化を拒みたい。

子どもの未来と自分の回復を望むより
自分のプライドを選んでいる。


自分の目標は、明確に見えているんだから
後は行動を変えればいいだけ。

いくら考えても変わらない。
行動しない限り、今のままの位置に居続けるだけ。


どうして自分を出す事が怖いのだろう。
なぜ、失敗したら恥ずかしいのだろう。
でも恥ずかしさがあるからこそ、その次に
どうしたらいいかが生まれてくる。

なにも怖くない。
なにも怖くない。
ううん、怖くてもいい。
怖いと思っている事は、消せない。
怖くてもいいから行動していきたい。





[ 2014/01/21 20:47 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

つけこむ人

こんな記事を読んだ

私の身の回りに、思い当たる人はいなかった

この「つけこむ」は、私自身がやっていた行為
それも分からないように、計画を立てながら



無意識に嗅ぎわけてターゲットを決め、恩を売りはじめる

優しい人を装って、
近所の人であれば、さりげなくおすそ分けを持っていったり、子どもを預かったり
仕事関係であれば、こっそりと手伝ったり助けたりする
取引先の人であれば、融通を聞かせて特別扱い感を持たせる

これを、恩着せがましくやらない事を意識しながらやる


最初の段階では、つけこむ事はしない
たくさん恩を売ったのちに、自分が困っている時に助けを借りる

でも、助けてとは言わない

相手が「今まで良くしてもらってたから、助けてあげなきゃ」
と思わせるようにする


本当に支援を受けたいと思って、その人に助けを求めていない
この人は、私を助けざるを得ないだろうというのを分かってて
さりげなくアピールする

全部計算済み
自分が悪者にならないでいられる


今は、限られた人としか接していない生活だから
このようなことは、あまりないかもしれないけど
向き合わないままでいたら、またやってしまう



きんたろうさんから言われていた

「自分さえ良ければいい」とか「計算している」
っていうのは、こういうことなんだろうか


[ 2014/01/17 12:43 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

炊飯器

セッションの中で話した思い出を
嬉しかった出来事だと思っていなくて、
きんたろうさんに

こしたんは、嬉しかったんじゃないの〜

と、いわれても

いやいや〜、そんなはずないし
全然嬉しくなんかないし

って答えるのだけど、話していくうちに
どんどん情景が浮かんでくる

従姉妹と並んで、お味噌汁の味噌をお玉で溶かしている自分
人参のイチョウ切りを教えてもらっている自分

おかわりのお茶碗を受け取ろうと差し出す、伯母の手のひら

どんどん出てくるのに、嬉しかった出来事として認めたくない
あり得ないと思ってた

でも、その話をして数時間経った今
認めたくない度が下がってきている

私、嬉しかったのかもって思い始めてる
その時間は、不安な気持ちがなく過ごしていたように思う

これを打ちながら、みんなでコタツに入っているのが浮かんできた
冬だったんだな

嬉しかったって認めるのに抵抗がある
幸せな思い出を受け止めたくない

明日の私はどう思っているだろう
さらに思い出して、嬉しさを感じ取ってみたいような、嫌なような、、、




[ 2014/01/16 02:15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

きっかけは私が作っていた

ピグ庭でメンバーさんと
チャットした時に、自分の事を
話しながら2年前のことを思い出す

6月に胸のシコリを見つけ
乳腺外科を受診
たぶん乳がんでしょうと言われ
それから検査三昧

確定した診断を出されたのは
7月末だったけど
メンタルが落ちていた私は
すぐに子どもたちに伝えられず
報告したのは8月の末
夏休み中、みんなで晩御飯を食べていた時

診断からひと月たって、
今後の治療方法とか
手術の際の入院先とかも
はっきりしてきたから言おうと思った

子どもたちを動揺させてはいけない
と、平気なフリをよそおって

乳がんなんだよ~

と報告

あの時、空気が一瞬固まってた
でも、それ以上悪い雰囲気にならないように
私が仕向けたんだと思う

誰も、突っ込んできいてこなかったのは
私が質問させないオーラを出していたからだ


不安でいっぱいだったろうけど
不安な気持ちを出すなと私に禁止されていた
不安は子どもたちの中にどんどんたまっていったんだろうと思う

私だって平気なフリをしていただけで
本当は不安だらけだったし
それが、表面に丸出しだったはず

仕事も急に行かなくなった
検査の連続で休まなきゃいけないのもあったけど
うつで入院した時と同じように
また、体が動かなくなってきてた

それで抗うつ剤の量も増え、
精神科に通う頻度も多くなった

覚えていないけど、きっと
うなってる時もあったと思う

私のそんな様子を毎日みながら
いきなり乳がんの報告された子どもたち

どんなに不安だったろう
お父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも頼れなくて
私しかいないと思ってたみたいだし


2学期がはじまってすぐ

突然、長女が朝泣いた
翌日の朝、次女が急に泣いた
二人とも、学校に行けないといって
家にいるようになったんだった

長女は、部活がハードできつかったのがきっかけだと思ってた
次女は、アトピーの症状をクラスの男子に言われてた事がきっかけだと思ってた

本人たちがそういってたから
そうだと思ってた

きっかけはどうあれ
そういう状況になるような
育て方をしていたからだと思ってて

それ以上深く考えた事がなかった

でも違う
きっかけも私が作ってた
じゃなきゃ、なぜ同時期に2人とも学校に行けなくなるんだ


平気じゃないのに平気なフリをして
そのあげくの結果を自分で招いていた事は
こういうことか

知るのに2年半かかった
これからも、こういうのがでてきそうだ


[ 2014/01/06 22:52 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。