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両手を広げて

AC回復を目指し、自分らしさを取り戻していく
月別アーカイブ  [ 2014年09月 ] 

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見る視点のずれ

りんりんさんにメールを送った後、もらった返事に満足できない時がありました。
メールには、子供が病院で体験した理不尽な診察への怒りを書き
その事に同調してくれるのではないかという思いが私の中にありました。

返ってきた返事は、私の求めているものではなく
子どもに対してのことが書いてありました。

私は一緒に「ひどいね!」と怒って欲しかったのに、、、
と思っていたので、そうではない返事にまた更に怒りが湧いてしまいました。

私とりんりんさんでは、見ている視点が違うということです。

私は子どもの気持ちを見ずに、医師を怒る事でバランスをとろうとしていました。
そこには「母親として、こんなに怒っているんだから」という思いがあり
実際に、病院に電話して散々激しく文句を言いまくってきました。
かなり激しく言ったのですが、受け入れられず、最後は私が逆切れしてガチャンと電話を切ってしまいました。

今でも怒りはあり
病院の先生に、ふざけんな、ばか、ヤブ医者、つぶれろ、なんて思っていましたが
子どもが受けたつらさはスルーしっぱなしで、でもそれも違っているのは
何となくわかっているので

だいじょうぶだった?不安だったね
ショックだったね、つらかったね

と言葉は一通りなげかけ子どもに寄り添っていました。

しかし、これは「こういう時はこう言うべき」という自分マニュアルで
言った言葉なので、子どもを見ないでしゃべっているだけです。
本当にこの子はつらかったんだろうと共感をすることができません。

この私の行動は、とりあえず親としてやることはやったという正当化した行為であり、
これをしたことで安心しきって、なかった事にしたい自分がいます。

人を見るということ の言葉の意味を理解することが、少しわかりました。
行動を移せるかというところまでは、まだいきませんが、
今日の3期性GSの振り返りで、メンバーさんとインターン生の体験談を聞き
自分の事例に当てはめて 「見る」 ということができていなかったということが分かりました。


セッションをはじめたころ

こしたんには「周りに人の存在がない」といわれ
なんのこっちゃと思っていたのですが、そのうち

「人を見ていない」といわれ始め
いやいや、ちゃんと見ているしって
思っていた時期もありました。

その後、だんだんと
どうやら私は人を見れていないんじゃないかと
そう思い始めてきて

今や、どうやったら人を見れる自分になるのだろうかと模索中。

家族からのアクションがあった時に、私はここですぐに没頭にはいってしまう。
おなかが痛い、、、といったら、大げさなんだよってなったり
頭が痛い、、、っていってきたら、スマホの見すぎなんだよって怒りが湧く。
風引いた、、、エアコン付けっぱなしで寝ててエアコン切るなっていったのそっちでしょ。

どうもこんな風にすぐに怒りが発動する。
これから見ていこうとするものは、上の段の左側に書いてある、子どもたちの訴え。

おなかがいたい、頭がいたい、風を引いた

ここが重要だと思っています。
先日の子どもの病院での話だったら

辛かった、怖かった、気持ち悪かった

先日のメールでりんりんさんは、子どものここを見てくれた返事をくれた。
私とは違うところを見ていたから、自分の中にズレがあったということ。
怒りを膨らませてしまえば、反比例して子どもを見る気持ちはなくなっていくんだ。

きんたろうさんとりんりんさんが、メンバーさんたちを見てくれているように
いつか自分も子どもたちを見ていけるようになりたい。



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[ 2014/09/01 03:04 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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