両手を広げて

AC回復を目指し、自分らしさを取り戻していく

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第一の安全な場所


3期生のGSで「第一の安全な場所」についての話が出ました。
地震が起きた場合、人はどうするか。

まず、安全な避難場所へ集まる。学校のグラウンド・体育館、公民館。
次に、お互いの安否確認。
それから、心情の吐露。


こわかったね~
びっくりしたよね~
ゆれたとき、こんな状態になったのよ
うんうん、私もそうだった~


こうやって、それぞれが吐き出せるのが「第一の安全な場所」。
ACの人は、これができないし、それが回復を妨げていることになる。

私自身も、自分の気持ちを話すことをせず、自分の中に閉じ込め
「第二の安全な場所」へ逃げ込むことをしてきました。

あなここが自分にとっての「第一の安全な場所」になりつつありますが
いつもいつもではなく、まだまだ慣れ親しんだ「第二の安全な場所」を選ぶことをしがちです。

どうせ話しても無駄、とか
たいした事じゃないんだからいっても意味はない、と
何ともない振りをよそおったり隠したり

話せる雰囲気じゃなかったから、と
周りのせいに持っていくようにしたりしてしまいます。
どちらを選ぶのも自分自身だし、それができる環境に今はあるということを意識していきたいです。

セッションの中で、賞味期限の切れた紙パックのジュースを飲んでしまった話がでました。

自分だったらどうだろうと考えたのですが
叔母の家だったとしたら、私はそのジュースをそっと冷蔵庫に戻すことをしたと思います。
飲んだことで体調を壊したとしても、たぶん叔母には言いません。

私にとって叔母の家は第一の安全な場所ではなかった。
それを認めきれない部分がまだあるし

もし飲んだのが叔父だったら、きっとぎゃーぎゃー騒ぐだろうから
それを嫌悪して、たいした事じゃないのになにを騒いでんのよ
となっていたことと思います。

それは、今の家庭で私が子どもたちに

たいしたことで騒ぐんじゃないわよっていうことを
言葉だけでなく、態度であらわしてきたことにもなるし
それによって子どもたちが第二の安全な場所を着々と作ってきたという事なんだろうと思います。

過去は確かに大変だったかもしれない。
でも今は、自分の「第一の安全な場所」があるんだから
未来は変えていける。もう、慣れ親しんだところへいく必要はないことを
先日のセッションで再認識することができました。


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[ 2014/11/30 14:09 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

やり尽くす


セッションで聞いた三原則のひとつ。

「なし得なかったことへの執着」

もう、やり尽くすしかないんだなあと思いました。
自分の歪みでこうなってしまっているという知識があることで
やめようと抑えようとするけど、結局はガマン。
ガマンしてきたからこそ、執着している。
頭でやっちゃいけないと分かったところで止めれるものではない。

せっかくあなここで安全な場所を提供してもらっている。
ケンカもOK、揉め事もOKの自分を出せる場所。
癖を出せば、ドン引きされるかもしれないし、人の不快を踏みまくるかもしれない。
でも、それもOK。

隠せれてると思ってるのは自分だけで、ダークな私はバレバレ。

人間関係に執着するのは、それがなし得なかったことだから。
それなりの理由がある。だったら、やり尽くすことが、私が前に進めることなんだろうと思います。





[ 2014/11/24 21:52 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

事実


小学校6年生の夏までは、家で1人で過ごすことの孤独感を
1人で好きなように過ごせる自由があるということにおきかえて
なんとか過ごしてこれました。

秋に入ると、中学校の制服はもう買ったかとか
どのカバンで通学したいとかの話題が学校ででてくるようになり、
私のなかに危機感がでてきました。

私は中学生になれるのだろうか。
父親は私の教育に関心がないし、私が自分から伝えたとしても動かないだろうから、たぶんなれない。

近所の人や学校の先生にも言えず、私は叔母に救いを求めました。

叔母は受け入れてくれ、一緒に住むことになり、私の救世主的な存在になりました。
たまに、遠回しに恩義を押し付けてきて、私に罪悪感を感じるように持っていかせてたので
理不尽感を持つことなく、過ごしてきました。

悪いのは、私。
父親と兄が面倒をかけている、申し訳ない。これ以上迷惑をかけられない。

シャンプーが欲しくても、歯ブラシが欲しくても
学校の行事でお金が必要でも、言わずにいました。
かわいそうな自分を着々とつくっていきました。

こんな状態なので、学校でも

あいつの家は貧乏なんだ、と言われるようになり

それを誰にも言えなかった私は、閉じていくことで自分を守りました。

叔母や兄からの理不尽を感じなくて済む 、良い方法だったんだと思います。

30年以上、自分が感じていたことを知ろうとしなかったし、誰にも話さずにきました。

当時、言えなかったことを最近になって
セッションやボイスで話せるようになりました。
話して事実を知ることによって、叔母一家から疎まれていた、理不尽な扱いを受けていたことを感じたくない。
あと、子どもたちに、同じようなことをしてきた自分を認めなくてはいけなくなる。

まだ、悲しみの中にいる方を選びたくなります。
理不尽を感じることに抵抗を感じています。







[ 2014/11/09 18:27 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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